話すことの大事。聞くことの大事。

 人に話すことの目的はなんですか?

 この質問、人それぞれの回答が出ると思います。

 話すことが大好きだから。
 話すように言われた課題をこなす為。
 話せば収入になるから。

 私の話す目的は、私の言いたいことを理解して貰いたいから。
 これが本来の目的であるはずなんです。
 話す行為そのものが目的になっているというのが前の例。これが悪いとは言いません。人の楽しみ方や理由、職業は多岐にわたっています。どんな目的があっても構わないと思います。
 しかし、そこに「相手に伝える」という部分を忘れてはならないと思います。

 私は話す内容を可能な限り100%理解して貰いたいと思う、欲張りな人間です。
 そして知っていることを100%教えたいと思っていた、余裕の無い人間でした。

 そうして人前で話をする機会があると、必死になって話してしまう、その結果「誰も話を理解していない」という風に感じられました。
 だから余計に必死になって・・・、という悪循環です。

 何が足りていないのか。
 間違いなく余裕です。
 それは知識や経験から得るものではありますが、もう一つ必要なことがありました。
 必死さを捨てることです。

 話を聞いて貰おうと頑張れば頑張るほど、その温度差に人は付いて来られなくなります。

 あるときから話し方を変えることにしました。すでにそのきっかけが何だったのかは分かりません。
 知って貰いたい、というのは、話すという行為に結果を残したいということ。つまり自分の事を相手の脳裏に残したいと思ってのこと。
 それはなぜか。知らない知識を知ることは楽しいことだと思うから。
 なら楽しい話をすればいい。それを必死になって話したところで誰も聞いてはくれないもの。必死な話を必死に聞ける人ならまだしも、そんな人は聴きたいと思って集まった人だけ。
 私の話す人達は、その話が聞きたくて来ている人では決して無い。

 では、どうしようか。
 そうだ、笑って貰おう。

 冗談交じりの話。人を笑わせるツボを付いた話。
 それを聞いてクスッとでも笑って貰えた。その瞬間、その人は私の話を聞いています。
 どんなに面白い漫才が側で行われていても、聴く人に聞く気がなく別の用事をしていたり、他人と話をしていれば、決して笑いません。
 ところが、笑い声を聞くと、何に笑っているのか気になり出すのです。
 そして話している相手が笑えるような話をしているのだと思って聞き始めます。
 そのタイミングでまた何か笑えるような事を話してみる。

 楽しく話を聞けたなら、人はその時間を楽しく過ごせたわけです。
 すると楽しい話は印象に易く残ります。
 学術的なこととか道徳的なこと、そして神社や神道という普通でなら堅い話になるであろうこれらの事を、楽しく聞くことが出来れば理解しやすくなります。

 そしてもう一つ。
 一度にたくさんのことを伝えようとしても無理です。
 長時間があるならまだしも、例えば乾杯の発声で話せる時間は僅かなもの。そこで相手にどうしても伝えたい事は一つに絞ります。その話の流れで他のことを話すのは構いませんが、話が変わってはいけません。それでは長くなりすぎます。
「これだけは知って貰いたい」という短い話を毎回行うことで、次の情報を欲して貰えるようになる。
 と同時に、あれもこれもという話す側の欲を捨てることで気持ちに余裕が生まれ、軽快な話が出来るようになります。

 最終的に、相手が楽しんでいると分かれば話す方も楽しくなります。
 そこで自分をどれだけ客観的に見て抑制することが出来るかが最後の肝です。
 そのテンションに乗りすぎると、再び相手との温度差が生じてしまいます。
 なにより重要なのは一体感。みんなで楽しい時間を過ごすこと。それを産み出すのが話し手の役割だと考えております。


 では逆、聞く側はどうでしょう。
 聞きたい話があるから聞く。なら寝てしまったりするのは自分の責任です。どんなにつまらない話でも必死に聞かねばなりません。
 しかし仕方が無く聞いている話ならどうか。それは聞く側が努力する必要はないと私は考えます。
 会話ではなく、講話という形であるなら、その主体は話す側にあります。聞く側は基本的に受け身です。
 なら、話す側に全責任があると思います。
 なぜなら、聞く方には黙って聞く以外の選択肢は与えられていないのですから。

 厳しい講義を無理矢理受けさせられる。
 学校は勿論、社会に出てもよくあります。
 新しいスキルを社員に身につけさせる為に、本人の意思とは関係なく行われる指導プログラム。
 そこにある間違いは、受ける者を楽しませる配慮がされていないことと、受ける者が受けたいと思っていないことです。
 人に教えるというのは、「知りたい」「聞きたい」と思っている相手に行われるべきです。そう思わないのが悪いのではなく、そう思わせないのが悪いのだと思います。
 つまりは結局は温度差です。

 厳しい修行にも耐えてみせる、と意気込んでいる人が相手であれば、どんなに厳しい事を行っても本人が望んでいる以上可能なはず。逆に手を抜くと、温度差が生じ、折角のやる気をそぐことにもなります。
 対して、それほどやる気が無いのに、全力全開でぶつかって教えようとしても、ついて行けるはずがありません。本人が望んでいないならなおのことです。

 温度差を無くし一体感を生むこと。
 だから受ける側は自分の思いをキチンと伝えるべきです。どれくらいの気持ちで受けるのか。それが重要です。
 行う側は相手が少しでも自分から進んでやりたくなるような、意欲を持たせる方法を考えるべきです。
 温度差が生む結果は、お互いの不満だけです。

 お互いが満足できる結果を得ることが出来ること。
 それこそが平和で在り、もっとも理想とすることです。
 Love&Peaceといいますが、以上のことから愛と平和は同義ともいえるように思います。
 今の時点で、私はこのお互いの最大限の満足を目指して行く道をすすみ、これからも話をしてまいります。

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 ↑本日ご奉仕致しました会社の稲荷神社初午祭で、乾杯の発生時にお話しをしました。手応えを感じた時間でありましたが、まだまだ改善の余地はありますね。



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