努力は人を裏切らない

 昨日の記事で思いのほか熱く語ってしまいました文章のお話しですが、一つ肝心なことを書き忘れていたのでそれだけ書かせて頂きます。

 文章を書くのに必要なスキル、について。

 当然あるものと思いますが、人が書いた文章を理解できる力、すなわち文章読解力は必要不可欠です。
 読解できるから内容が理解るわけですが、逆に理解している内容を文章にするには最低限この読解力がなければなりません。
 これだけで書けるわけではないですが、これがなければ理解できる文章など書けるわけもなく、自分の書いた文章すら理解できません。

 その上で、自分の理解している内容を文章にするには、文章力が必要となります。
 これは文章だけの話ではなく、口頭で説明するにしても共に必要な能力です。
 ここまであれば人に物事を伝えることは可能です。逆にいえば、なければ伝えることはどうやってもできません。

 そして相手に興味関心をもってもらう為に、そこから脚色という物が加わります。
 以上があった上で昨日の話へ繋がっていくわけです。


 さて、その先の話として、文章を書く力を身につけるには、まず文章を読むこと。難しい内容である必要はありません。わかりやすく書かれている物こそ書く力を身につけるには最適です。
 それと同時に文章は書き続けることで力が付いていきます。
 手前味噌ではございますが、学生時代の私の文章執筆時間はなかなか激しい物でした。徹夜で執筆したことも少なくありません。そのときの集中力は時間の感覚を忘れさせる物で有り、何より楽しく書いておりました。
 そうやっているうちに文章力が付いた、というのはさすがに自分で言うのははばかられますが、様々な能力が身についたのは事実です。その一つがタイピングのスピードでしょう。
 間違いなく手で書くよりタイピングの方が早くなったのは、この経験を経たからです。一週間で文庫本一冊分の小説を書いたりしていたら考えるのと指が動くのが同じくらいになっていきます。今となってはキーボードのどこにどのキーがあるのか、ではなく、思っている文章を書く為に自動的に指が動くので、自分でも気持ちが悪いと思うこともしばしばです。ちなみにこれはローマ字打ちに特化していますので、プログラマーには遠く及ばない事は重々承知しております。
 要するに思わぬ副産物、というのがあったという話です。

 一つの事に専念して鍛えていけば、そのことだけでなくいろんな事が鍛えられていきます。
 それは鍛えようとしている事を後押しする能力であることが多く、もしそうでなかったとしても決して無駄にはなりません。

 努力は人を裏切らない。これは真実だと思います。
 それと同時に、結果を生まない努力に意味はない、というのも事実だと思います。
 何も生み出さない努力はない。つまり何も生み出せなかったのは努力ではない。
 本当に努力をした人は自己満足では決して終わりません。必ず何かしらの力を発揮します。
 できないことを出来るようにしたいなら、努力するのが当然です。その出来ることを増やす事ができるのは若い内だけと言われます。

 若い内の苦労は買ってでもしろ。

 よく言われることです。
 やりたくない、と思った事ほど自分から率先して取りかかっていきましょう。その積み重ねが力になります。
 私はそう信じて嵐に飛び込んでいます。

 そして・・・・・・結構痛い目を見てます(これも一つの「産みの苦しみ」)


 それと、人に認めて貰うのは努力ではなく結果です。「その努力は認めて貰いたい」と思うことは、最終目標がすでに努力することそのものとなっています。それで何かを得ることは決して出来ません。やり遂げることこそが真に努力が報われる瞬間です。
 それまでは孤独な苦しい道のりが続きます。しかしその先に人と肩を並べられる瞬間があると信じて進むのみです。

プロフィール

厄除の宮 駒林神社

Author:厄除の宮 駒林神社
兵庫県神戸市長田区駒ヶ林町3-7-3鎮座
由緒正しい厄除の宮「駒林神社」です。

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