一週間の構想――基礎の上に成り立つと言うこと

 構想を練っていたのは、夏祭りの祝詞です。
 これは私が奏上する為のものではなく、さらに私が作るものでも無い。宮司が権禰宜に作るように指示をし、私が指導をするよう指令を受けた代物です。
 例によって権禰宜の指導の為のカリキュラム、といったところでしょうか。

 そうして待ち続けた一週間。

 権禰宜がその指示を受けているのを、端で聞いていたときから、次々と浮かんでくる構想。
「こういうことを入れてみたい」
「こういう言い回しで書いてみたい」
 泉のようにわき出てくるのを感じつつ、しかし権禰宜が作る手助けをし、手を加えるのは一週間後という指令でしたので、細かいチェックをしつつ、おかしいと思われる箇所を指摘していく日々。
 指導の大変さとは自分の自制にあると感じずには居られない一週間でした。

 どうにか私の思いついた、或いは私の思いつきもしなかったフレーズが出てこないかと、指導の最中につついてはみたものの、どうやらそこまでたどり着く余裕は無いようだということは判明致しました。


 余裕が無いのは知識や経験と言った持ち玉が少ないから、そして何より基礎というベースが固まっていないからと思われます。
 祝詞を書かせるとそれだけに集中しないと書けない。
 何か作業をさせると、それだけに集中しないと作業できない。

 だから、それにかかり切りになり他の事は進まない。
 基礎というベースが足りない以上、それらを固めてやらないと全く先には進まないのですが、これを基礎だと理解できない場合があります。難しい事を言われていると感じられるとどこから始めれば良いのかわからないですし、さらにかみ砕かなければならなくなります。

 世の中にある全てのことは基礎の上に成り立っています。
 実践で培ってきた人は経験はあっても地に足が付いておらず、場をこなせばこなすほど不安を覚えていきます。
 しかしその人に基礎を教えると、綿が水を吸い取るように吸収し、それまでの不安が一気に解消されるものです。
 その感動には、私も経験があります。

 その逆、基礎がありその上に知識と経験を積み重ねていく。そこに感動はなかなか得にくいものです。ですが、自分なりに巧く解釈でき混乱や不安は最小限に抑えられます。
 基礎を据えることの大切さと、それを理解するだけの柔軟な思考が必要なことから、まずは教えねばならないようです。


 ちなみに、祝詞制作ですが、一週間もあると、いくらわき出たフレーズも、良いものには思えなくなるもので、または浮かび出てこなくなるもののようで、結局産みの苦しみを味わう羽目になりました。
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厄除の宮 駒林神社

Author:厄除の宮 駒林神社
兵庫県神戸市長田区駒ヶ林町3-7-3鎮座
由緒正しい厄除の宮「駒林神社」です。

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