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活気溢れる街へ

 いつもお参りの方とお話しをしておりまして、「昔はうちで飲んでたお客さんが、最近は向かいの病院のなじみになっている」という笑って良いやら悪いやら・・・、爆笑しましたが・・・、そんなことをおっしゃっておりました。
 国の高齢化以上に地域の高齢化は深刻な問題です。
 かつての過疎化がかつて都会と呼ばれた地域でも起きようとしております。
 地域が一体となって街を盛り上げ、活気を取り戻すことが急務と言えるでしょう。

 そんなこんなで、元気な内にお酒を飲むのも大事なことだと学んだのでした。






【ご祈祷を受けられる方へ】
 
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 ご祈祷を受けられます際には、事前にお問合せをお願い致します。
 事前連絡なしでお越しになられますと、社務の関係で神主が不在の場合があり、ご奉仕が行えない
場合がございます。
 皆様に気持ちよくお参りをして頂くための事とご理解の下さいますよう、よろしくお願い致します。
注 厄除大祭中は随時受付致しておりますのでご連絡は必要ございません。
 





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偏る目で見ず、あらゆる目で見よ!!

 神社という環境で生まれ育ち、他の社会をほとんど見る事無く、まして神主としての学習に特化した時間を過ごし、その状態で一般社会と神社は同じか・・・・・・、普通に考えたら違うと思われることでしょう。
 では何が違うのか。

 そこに誤解があるのですが、そもそも我々神主は特殊な能力や技能を持った人間ではありません。
 まして厳しい修行をしてきただとか、何かに目覚めたという人もほぼ居ないでしょう。
 神主とは、大神様に対して正しい作法を行え、正しい言葉と表現でお伝えできるように心身ともに教え込まれた、普通の人です。

 神社によっては禁則がある場合がありますが、一般的に神主には禁則事項などありません。
 よく聞かれるのが、「神主さんて何かしてはいけないこととかあるのですか」という質問。
 聞きたいことは分かるのですが、この質問だと私たちが答えられるのは「そうですね・・・、犯罪とかしてはいけないですねぇ」として答えようが無いわけです。
 要するに質問者の意図は、お坊さんが禁欲をされているように神主にもそういうものはないのかということだと思います。
 そういう意味では、「特にありません。皆さんと同じです」という答えになります。

 神主の特殊性という意味であれば、例えば社長に当たる宮司が居ますが、そもそもそれは人の中でのトップであって、最も上にいらっしゃるのは神社のご祭神です。
 足を向けて寝ない、見下ろさない、ということはあります。
 大恩ある人に足を向けては寝れない。とは一般的に言われていることです。
 つまりこれらはよく考えると普通の事ですよね。
 神主は厳しいルールがあって守らないと行けないから大変だ、と誤解されがちなのですが、そうでは無くて、神主は日本人としての正しいルールやマナーを知っているからそれを守っているだけです。そしてそれを氏子崇敬者に教えていくことが神道教化であると私は考えています。
 神様の祀り方などもそうですね。

 だから逆に言うと神主は本当の作法・マナーをキチンと理解しておく必要があると思います。
 日本人として、というよりは、大神様のお世話をする者として恥ずかしくないようにするために。
 それがあるからこそ、私は様々なマナーというものに興味があります。ただそう簡単に実践できるものでも教えてもらえるものでもありません。その機会を得る為に色々と考えてはおりますが、少し時間が掛かりそうです。

 閑話休題

 さて、どんな社会に生きていてもそうですが、そこにだけ従事していると、判断材料や他の社会からみた感覚などは決してわかりません。
 例えば神社の場合、授与所で出すお守りは神主だけの視点で考えると良いと思えるものであっても、参拝者からするとたいした事がないと思うことは多々あります。
 それを脱却する方法は二つ。神主が外に出るか、外の意見を受け入れるか。
 外に出るとは、別の社会に足を踏み入れると言うことで、一朝一夕にはいきません。
 即効性なら間違いなく後者でしょう。
 どんなお守りを受けたいと思うか。
 我々には思いも付かないアイデアが出るのではないか。
 そうして出てきたアイデアこそ、本当に必要なものかもしれません。

 極々当たり前のことではありますが、第三者の目は大変貴重な意見に繋がると思います。
 もちろん、神社であれば神道としてふさわしいものである必要がありますが、それがクリアできるものし仕上げることが出来るかどうかは神主の度量と力量と言えるでしょう。
 そんなのは無理、と結果を出す前に一度考えてみること。それがいずれ全く新しい発明に繋がるかもしれません。

 小さな事からコツコツと。ですよ。






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震災を「思い出」ではなく「教訓」とするために

 本日、兵庫県神道青年会主催で阪神淡路大震災発生から20年の節目としての講演会が行われました。

 基調講演で講師をされたのは、元NHKアナウンサーで現在千葉県の熊野神社宮司として奉職されて居られる宮田修先生。余談ではありますが、blogで何度も書かせて頂いております、私がこれまでで講演会に参加して良かったと思えた数少ない講師のお一人です。

 兵庫県南部地震が発生し、その第一報を報じられたその前後のお話を伺い、改めて当日には至る所で自分自身の戦いを繰り広げられていた事を思いました。
 そして先生ご自身がその時に思った悔やまれることなどを拝聴し、今実際に地震が起こったとして自分はそこまで思い至れるとは思えず未熟さをかみしめておりました。

 その講演の中で、地震を想定して準備はしていたか、という話しがありました。
 NHKでは前年にその対策訓練が行われていたそうです。
 夜一度職員が帰宅した後に行われた訓練で、全ての職員が再び行動を開始し、大阪放送局は港に中継車まで出して行われたとのことです。
 それに対して思い返しますと、地域での避難訓練などは行われております。
 しかし神社として、神社界としては対策をしていなかったですし、発生後も行われたという話しは聞きません。
 そして東日本大震災が起こってしまい、起こってから全てを組み立てることとなりました。

 今更とは思わず、避難訓練や対策シミュレートをすることは自分たちが、或いは他の地域で災害が起こったときにより迅速に動ける様にする為にも必要では無いでしょうか。
 災害発生時に茫然自失したり手をこまねいている時間を極力無くし、あらかじめ決めていた最優先事項をこなせるようにすることで被害を最小限に食い止めることも可能でしょう。
 先ず何をするか決めておく。
 それだけのことで救える命があるかもしれません。

 戦後70年。今なおその悲惨さは受け継がれています。
 そして震災20年。当時の記憶を失ってはいけないと言い続けてはいます。
 しかし、それは「思い出」にすることではありません。
 人は未来に向けて生きています。
 ならその記憶を「教訓」としから学んでこその記憶だと思います。

 日本人は自然への畏敬の念を持ち、災害が起きてもすぐに立ち直り、自然と共に過ごしてきた。
 ところが戦後、自然に対する畏敬の念は薄れ、自然を甘く見た。
 自然とのつきあい方を考えねばならない。
 そう宮田先生はおっしゃっておられました。
 自然を大切に、とは環境問題などだけではありません。一人一人が自然と共に暮らしていることの自覚と、自然の恩恵への感謝、そして自然の猛威への対策をすることが、ひいては自然を大切にすることに繋がると思います。
 震災20年を節目に、まずは個人個人でもしもの想定を考えてみましょう。それが第一歩になるはずです。






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成功から生まれたのは自信か慢心か。それを正すのは・・・

 この度四十名ほどの前でお話しをさせて頂く事となりました。
 内容は神社というより地域のことについてですので、神主としてだけでなく一住民としてのお話しをすることとなります。
 とは申しましても、私個人が話しをするわけではなく、参加者全員で出し合った意見をまとめられたものを発表するという役割です。

 こういった役回りは昔は非常に苦手だったのですが、いつの頃からか自分がやりたいと思うようになりました。
 初めて思ったのは中学の生徒会長選で友人の応援演説を見ていたときでしょうか。
 自分ならこうするのに、ああするのに、ともっと盛り上げる方法が出てくるようになっていました。
 しかしながら今では想像できないという方もいらっしゃるのですが、生来のシャイな性格から手を挙げる事は叶わず、自分の中でもやもやした物を抱えたまま数年を過ごしました。
 そして大学時代に行われたディスカッションで班の発表役に選ばれた際に、自分で満足のいく発表ができ、周りからもお褒めの言葉を戴いたこともあって、確かな手応えを感じたときから、自分がこういうことに多少自信を持っても良いのだと思えるようになりました。

 おそらくその頃から授業や講演の見方が変わり、自分ならどうするかという視点を持つようになってきたように思います。

 人前で話すのは今でも躊躇はあります。
 ですが自分なりとはいえ研鑽を積んできたことが悪い方向に進んでいるとは思ってはいけないと思います。
 なにより自分自身は良いと思われる方向へまっすぐ進むべきです。

 しかしそれは本当に自信だったのか。もしかしたら思い違いをしての慢心だったのか。
 その答えに自分で気付く事は困難、或いは不可能かもしれません。
 それを見極めてくれるのは自分以外の誰かであり、そして更に諭し正してくれる者こそ仲間や友人だと思います。
 間違えていると思ったときに正して貰える事こそ、何よりの友情の証だと思います。
 それをしてくれる友人がいてこそ、自分は迷わず進むことができます。

 腹の内を見せ合える仲間といつまでも一緒にやっていける。そうして進んだ先に栄光はあるのではないでしょうか。

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伝える事と、理解する事

 何度となく触れている話ではありますが、最近特に思うことがあるので、また書かせて頂きます。

 人に物事を伝える事。その難しさを私は長年身を持って感じてきました。
 その経験から私の考える伝える事に重要な事、それは「冷静さ」です。
 決して「勢い」や「情熱」ではありません。

「勢い」とは冷静な判断の上に行う手段であり、
「情熱」とは相手に伝えることそのものです。

「情熱をもって話をすれば人に伝わる」
と言う人もいますが、情熱が空回りして言っていることが理解できなければ、伝えたことにはならないのです。 

 その会話の流れが勢いを求めているなら、その流れに乗れば良いのであって、その判断をするのはあくまでも「冷静さ」です。

 逆に「冷静さ」とは熱くならないこと、ではありません。言葉で人に伝えるなら熱いものを抱きながら極めて冷静に務めることが必要です。

 では冷静さとはどうやって得ることが出来るか。
 まずは状況を受け入れること。反発しようとするとそれに飲み込まれ自分を見失っていきます。
 一番良いのは深呼吸することです。
 始まる前に深呼吸をし、呼吸を整え、身も心もリラックスして望む。どんな事に対しても最も有効な手段でしょう。

 そしていざ始まれば、リズムを早くしないこと。
 ゆったりと話し、相手に自分の呼吸をつかませるつもりで、ゆっくりと話します。
 滑舌よく、一音一音を聞き取れるようなスピードがベストでしょう。
 自分がゆっくり話しているな、と感じるということは、それだけ余裕があるという証拠で在り、冷静さを保てていると言うことです。

 ここまでの下地があって、続いて口で説明するだけでなく動きを加えます。
 それは身振り手振りではなく、目の前で白紙の紙を広げ、記していくことで、視覚的にも相手に説明を加えていきます。
 あとで「聞いていない」というような話しにならないようにするには、見せて手元に持っておかせることです。それが契約書であったり議事録であったりという「証拠」にもなります。
 そして相手が本当に理解しているかどうかを確かめる所までして、初めて「伝えた」と言えます。

 これらが途中で終わっている場合、それは「伝えた」ではなく「言った」です。
 言っただけでは相手には伝わりません。
 相手が理解して初めて伝わったと言います。

 伝わるとは、自分の伝えたい意思を相手も共有することをいいます。
 震動や波や音や光が伝わる際に、伝わった先で全く違う物にはなりません。
 伝えるとは、内容が変わってはいけないのです。

 最後の「確認」。それを怠ると後で問題が発生することが多々あります。

 まとめると、

1、冷静さ
2、わかりやすさ
3、確認

 この三つが必要不可欠です。
 最後の確認は大多数相手では簡単な話ではありません。
 しかし相手が少数であればあるほど、欠かすことが出来ない要素です。

 自分に言い聞かせるつもりで書きました本日の記事。ご意見など頂けましたら幸いです。





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Author:厄除の宮 駒林神社
兵庫県神戸市長田区駒ヶ林町3-7-3鎮座
由緒正しい厄除の宮「駒林神社」です。

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