幼い日の出来事を覚えてますか?
ご夫婦とお二人のお子様の四人家族で新しく家を建てられるとのことです。
南向きの非常に日当たりの良い、今日のように天気が良いと暑いくらいの場所です。風がありましたので狩衣が煽られたりと動きがとりにくくはありましたが、無事斎了いたしました。
さて、そのご家族の2歳くらいのお子様は元々家にお留守番予定だったのですが、行きたいとの事でいらっしゃってました。次に家を建てるのは自分が大きくなったときだろうから今見るのは良いことだろうと思って親御さんが連れていらっしゃったようです。ただ流石に大きくなって地鎮祭のことを覚えているというのは難しいでしょうね、と。確かに「生まれたときからこの家に住んでいる」と思ってもおかしくないかもしれません。
けれどよくよく考えると、まったく覚えていない、ということも意外と無いと思います。私自身も幼少の頃の家の事など詳しくは覚えていなくても一部の場面だけでも覚えていたりします。すでに現実だったのか夢幻だったのか分からない程のあやふやな記憶ですが、聞いた話に照らし合わせるとやはり経験した記憶です。
幼少の頃の経験は時が経っても忘れにくい物なのかもしれません。今回の場合も地鎮祭の経験はいずれ自分で家を建てることになったとき不意に思い出すかもしれません。その時に思い出話ができれば、それは思い出として残る地鎮祭が御奉仕できたのだと改めて思えることでしょう。
例えどんなに幼くても、やったことの経験はなにかしら残る物だと思います。「まだ小さいからいいや」というのではなく、「忘れてしまうかもしれないけどやらせてあげよう」くらいで考えてあげれば、それがもしかしたら何かの拍子に役立つかもしれません。
「若い頃の苦労は買ってでもしろ」と言いますが「幼い頃の経験は覚えて無くてもやらせろ」というのも言ってみてはいかがでしょう。